秋祭り 天狗 まつり
  1. HOME
  2. 里山の秋まつりと修験道

里山の秋祭り 獅子舞やシメキリ

お祭り 天狗 締め切り里山の秋祭りは、9月の毎週末に行われます。民俗芸能の保存と振興につとめている、全国民族芸能保存振興市町村連盟(全民連)に長野県で登録されているのは、映画にもなった大鹿歌舞伎の他には木島平村しかなく、柱松子、盆じゃもの、からす踊りが登録されています。

秋祭りは多くの地区で開催され、村内の各所で特徴の違う獅子舞やシメキリが行われ、里山の秋祭りを盛り上げます。近隣の山々には信濃の三大修験場(飯綱、戸隠、小菅)があり、その影響も多く受けていると考えられており、南鴨や内山の柱松子は小菅の柱松柴灯神事の影響もあると考えられています。遠い昔の修験道や、その当時の戦国時代の武将に属した氏族、豪族の祭りとして奉納されたものではないか、そう考えるとロマンが広がってきますね。里山の秋祭りを観るプランを企画してみてはいかがでしょうか。

獅子舞 祭り 踊り
獅子が参列者の頭を獅子頭でカチカチ噛む仕草を行います。これは無病息災の意味があるとされます。動画の後半、これを撮ったカメラマンにもカチカチしてくれました! 西小路と中島という二つの地区が同じ時刻にスタートし、神社の前で向かい合う形になります。天狗は毎年地区ごとに交代で、その地区の若者が選出されます。天狗がシメを切ります。
木島平 ホテル 宿泊

北信濃の獅子舞の特徴

獅子舞 祭り 踊り北信濃の獅子舞は、大半が二人立ち舞いです。東信地方では一人立ち舞いもありますが、北信濃では見当たりません。各所で一つ一つ個性が違い、先人からの伝搬が正確に伝えられている証です。この里山の人柄も同じように伝えられているものですね。大天狗が参道を練り歩く、灯篭が天狗の後ろで待機している時などに、振る舞われる振舞酒は気持ちを高揚させます。

道中囃子、獅子舞、シメキリ(締め切り)、チャンドコ(囃子)、笛は比較的低音で神楽がないのも奥信濃の特徴でもあります。善光寺周辺、小布施、中野市とも違う獅子舞を1度ご覧下さい。シメキリの仕方や面の特徴も違うので、比較しながら観ていただくと見応えも大きく興味深いものになると思います。里山の秋祭りに昔の思い出が蘇る方もいらしゃいます。

時折獅子舞の終盤に於いて、獅子が参列者の頭を獅子頭でカチカチ噛む仕草を行います 3回ほどカチカチとおまじないのように歯を鳴らせます、これは無病息災の意味があるとされるもので、このおまじないをしてもらう為に、参列者の列ができることもあります。

金魚すくい お祭り 踊りご夫婦で古の昔より伝わる里山の秋祭りに参加されてみてはいかがでしょう。
里山の秋祭りが始まる季節は、夜間はめっきり涼しくなり、天空が広がりを見せ綺麗な星空が輝きます。秋祭りと美しい星空は、懐かしい忘れかけた匂いと感動を与えてくれることでしょう。里山にも以前は多くの夜店が並び、最近では数も減ってはいますが、懐かしい風景、風情が清廉な気持ちに導いてくれます。

木島平 ホテル 宿泊

修験道の験比べの様相が残る信濃の柱末紫燈神事

天狗 締め切り シメキリ奥信濃には三代修験霊場があります。飯綱権現(飯綱三郎天狗)は、平安時代に祀られ上杉謙信、武田信玄など多くの武将に守護神として信仰されました。現在もカラス天狗と白狐の逸話も多く残っています。

戸隠修験霊場は平安末期に祀られ、鎌倉時代には高野山、比叡山に匹敵する大霊場であったとされています。善光寺とともに発展し、宿坊も戸隠三千坊と比喩される勢いでした。川中島の戦いがあった頃には、多くの修験者と信仰集団を抱えている戸隠神社や飯綱神社は武田、上杉両軍にとっては是非味方につけたい存在であり、修験者の情報通と薬草の知識は従軍医師としても期待出来るものでした、更に飯綱で修行の後、神通力を編み出した千日太夫が、管狐と呼ばれる小動物を使った妖術が強い信仰を得て広まり、武田、上杉にはどうしても欲しい力でもありました。
そして小菅は上杉の庇護のもと大いに発展しますが、武田の軍勢によって焼失、現在も謎が残る修験霊場となっています。

天狗 締め切り 秋まつり柱末紫燈神事は、この小菅の修験者の験比べの様相を示す行事となり、北信濃飯山市小菅、木島平の内山、南鴨に残り独特の様相を示します。小菅は3年に一度、内山は毎年7月15日、南鴨は毎年7月28日に近い日曜日に祇園祭りとして行われています。
木島平村内山の柱末紫灯神事は、内山に300年近く前に疫病が大流行し、この時御嶽山で修行していた小菅山元隆寺の講中を通じて、疾病除けの神事として柱松神事が導入されました。

また南鴨の柱松神事の由来には二つの説があり、江戸時代に鴨ケ原村が北鴨、南鴨と村切りがされ、年貢の割り振りで揉め、当時馬曲川の氾濫が頻繁にあり、水害のため南鴨に大きく年貢を割り振り、水利権を優位にする為に村の結束を図る為という説と、村内で戸隠講(信仰結社、現代の無尽講)が盛んなころ頻繁に火災がおき火を鎮める為、祭神を祀る胡麻堂を建て戸隠神社より大日如来を勧請したいう説があります。どの説も修験道に通じる古の知恵が、この里山の木島平に伝え残っているものです。

木島平 ホテル 宿泊